【雑学】タリアコッツォの戦い

タリアコッツォの戦い
タリアコッツォの戦い
戦争 皇帝派と教皇派
年月日 1268年8月23日
場所 タリアコッツォ近郊
結果 シャルル・ダンジューの勝利
交戦勢力
ゲルフ カペー家 ギベリン シュタウフェン家
指導者・指揮官
シャルル・ダンジュー コンラーディン
戦力
4000~4500 騎兵 3500
タリアコッツォの戦いは1268年8月23日に、コンラーディン率いるギベリン党の軍とシャルル・ダンジューの軍の間で行われた戦闘である。この戦いはイタリアにおけるシュタウフェン家の最後の大規模行動であった。コンラーディンの没落はシュタウフェン家のシチリア王位継承からの脱落を意味し、アンジュー家の南イタリア支配は新しい局面に入った。

前史

1197年にノルマン人の支配者からシチリア王権を受け継いだシュタウフェン朝の皇帝は、北イタリアにおいても長年要求してきた支配権を確立しようとし、それは教皇権と北イタリアの反皇帝派による激烈な抵抗運動を生んでいた。教皇権と皇帝権のイタリアの現実政治を巡る闘争は、イタリア人の間に対立を生じさせ、派閥主義に繋がり、結果として都市はギベリン党(皇帝支持者)とゲルフ党(教皇支持者)という派閥に色分けされた。この党争のさなか、強力な皇帝フリードリヒ2世が崩御し、その後継者コンラート4世も早世したことで、南ドイツのシュヴァーベン公領とシチリア王国の継承権は幼きコンラーディンに遺されることとなったが、シチリア王国はコンラーディンの叔父でフリードリヒ2世の庶子であるマンフレートによって実効支配されていた。マンフレートのシチリア支配は当初はコンラート4世のもとでは事実上の代理として、その死後はコンラーディンの摂政として行われたが、1257年になるとマンフレートはコンラーディンが死んだと噂を流し、コンラーディンを差し置いて自ら王であると宣言し、直接支配を始めようとした。 教皇クレメンス4世はマンフレートの権力伸張を抑制しようと考え、マンフレートを破門するとともにシャルル・ダンジューを新たなシチリア王として擁立し、武力によりシュタウフェン家の支配を打倒しようと考えた。シャルル・ダンジューと教皇権の取り引きは両者の協定として結実し、異教徒シュタウフェン家に対するシャルル・ダンジューの「十字軍」が開始された。1266年2月ベネヴェントの戦いでシャルル・ダンジューはマンフレートを打ち破り、シチリア王としての立場を強固なものにしようとしていた。 ベネヴェントの戦いののち、クレメンス4世は北イタリアのギベリン党に対抗するためにシャルル・ダンジューを利用していたが、一方でシャルル・ダンジューがかつてのシュタウフェン家のように南イタリアだけでなく北イタリアにも支配を及ぼして教皇権の世俗支配を脅かさないかと危惧していた。とはいえ、教皇権はこの時点では長年の敵対関係にあるシュタウフェン家のほうをより因縁深い相手と見なしており、16歳になったシュタウフェン家のコンラーディンがシャルル・ダンジューのシチリア支配に猛然と反対し、その前にトスカーナのギベリン党が結集したとき、クレメンス4世はただちにシャルル・ダンジューに支援を要請し、彼に教皇代理の称号さえ最終的には与えた1

戦闘の経過

かなりの軍旅の果てにコンラーディンの侵攻軍は、タリアコッツォの郊外でシャルル・ダンジューの軍に会敵した。各々の軍はそれぞれ三部隊から編成されていた。シュタウフェン家の側はまず第一軍にスペインとイタリアの騎兵からなる部隊があり、カスティリャのインファンテ(親王)であるエンリケが指揮をしていた。第二軍はイタリア出身が多くを占めていたが、ドイツ人騎兵も含まれ、ガルヴァーノ・ランシア Galvano Lancia が指揮した。最後の部隊はコンラーディン自身が統率し、傍らにはバーデン辺境伯フリードリヒ1世が控え、この軍はドイツ人騎兵によって固められていた。シャルル・ダンジュー側の第一軍の指揮官は知られていないが、プロヴァンス騎士とイタリア人の混成部隊で、第二軍はクーザンスのアンリが指揮するフランス人騎兵隊だった。最後の部隊は熟練の十字軍戦士ヴァレリーのエラール Érard de Valéry によって指揮され、フランス人の精鋭騎兵から成り、エラールの助言に基づいて伏兵として温存されていた。 開戦当初コンラーディンの軍は優勢となり、劣勢となり退却しはじめたシャルル・ダンジューの第一軍と第二軍を追撃して、シャルル・ダンジューの陣営に到達し、そこで戦利品の略奪を始めて散開し統制が緩まった。この段階でシャルル・ダンジューは伏兵部隊を投入し、散らばり統制を失った敵軍を完膚なきまでに叩きのめし、殺戮した。コンラーディンは戦場を脱出し、ローマへと向かったが、のちに捕らえられてシャルル・ダンジューによって収監され、処刑されることとなった。  
シチリアの晩祷―十三世紀後半の地中海世界の歴史 シチリアの晩祷―十三世紀後半の地中海世界の歴史
  • スティーブン ランシマン (著), Steven Runciman (原著), 榊原 勝 (翻訳), 藤沢 房俊 (翻訳)
  • 太陽出版 (2002/8/29)
ヨーロッパ史における戦争 (中公文庫)

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  • 中央公論新社; 改訂版 (2010/5/1)
スティーブン・ランシマン「THE SICILIAN VESPERS」待望の完訳! 名著『十字軍史 A History of the Crusades』を書き記した著者が描き尽くす西欧中世の転換期 地中海世界の1250年代!1282年にシチリアで起こった事件である「シチリアの晩祷(Vespri siciliani)」は、ダンテ・アリギエーリやジュゼッペ・ヴェルディなど多くの芸術家にも影響を与えた。『十字軍史』(全3巻)で知られる20世紀を代表する英国の歴史家であるラシンマンが優れた語学力を駆使し、偏った西欧史観ではなく東ローマ帝国とイスラム帝国を含めた公平な視点で、「シチリアの晩祷」と13世紀後半の地中海世界をドラマチックに描き出す。傲慢さゆえに破滅を招いた頭の良い王子の話、バルセロナとビザンティンで企てられた大掛りな陰謀、外国人の支配に抗して立ちあがった秘密組織のシチリア人、中世の普遍的な教皇君主制の自滅への道のりなど、原著索引の1450項目(日英対照)を再現。ほか地図・家系図など訳書独自の図版多数。 中世から第二次世界大戦に至るまでのヨーロッパで起こった戦争を、テクニックだけではなく、社会・経済・技術等の発展との相関関係においても概観した名著。二〇〇九年に改訂された新版の本邦初訳。
  1. Kleinhenz, Christopher (1980). Medieval Italy: An Encyclopedia. I. New York and London: Routledge, p.232.[]

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